くじら物語仝製房腓里呂犬泙蝓〜霍

 始めまして、くじらです!
自分は、今、龍神に属していますが、龍神を語るのは、自分の
身を通して在った事のみです。
他の事柄については、確実で無い事は申したくありません。
私は、茨城の大洗に住むくじらです。
茨城県沖の地主神であります。
正式には、言祝主命と言います。
東日本大震災は、日本の国土と日本人に深い傷を残しました。
そして、それが日本の将来やアセンションといわれるものに、
何か関連があるのではないのか?
という問いが多く寄せられていると聞き、
私が答える運びとなりました。
所詮はくじらの言うことなので、
あまり突っ込みは入れないでくださいね。

記憶をたどり、確かに言えるのは、
自分は、3000万年前にクジラであったということです。
人間の時代区分で、新生代第三紀で、
恐竜の繁栄と絶滅があった白亜紀に続く時代です。
霊界でクジラの霊体をそのまま維持してきたので、
戒体と言います。

くじらの分際でも、霊界で数千万年精進すれば、
そこそこの霊威を持ちます。
現在のクジラでは、ヒレになっていますが、
その頃の自分の体には、まだ手がありました。
クジラが生まれたのは、テチス海という太古の地中海ですが、
私が生きていた時代、日本はそのテチス海の東の縁にありました。
そう、この常陸の海岸です。

私は、地中海と日本の海を回遊して暮らしておりました。
地中海で結婚し子供を作り、常陸の海は食料が豊富で、
子育ての場でした。
現世では、邪馬台国の所在が騒がれていますが、
たかだか二千年前の話です。日本の始まりは、常陸です。
五億年前のカンブリア紀、私が生きていたずっと前から、
常陸は海の生き物達の場でした。

クジラは、家族の絆が強く、子供が成長するまでは家族単位で行動します。
今現在でも、太古とあまり変わらない暮らしをしているようですね。
ところで、家族という社会をもつ種族は、霊界でも魂の成長が早い。
それは、家族という関係を通じて、動物といえど、愛を学ぶからです。
各々の種の動物たちは、その身体的環境的条件に制限されながらも、
家族によって愛を育みます。子供を守り、育むという行為は、
本能だけではないのです。
クジラも数千万年前から、愛の魂を宿していたのです。
しかし、人間の魂と本質的に違うのは、無欲であるということです。
海の動物たちは人間の愛のように、利得は必要ではありません。
海の動物たちの愛は、無為で、神意にかなうものです。

ところで、当時クジラの社会は、人間の表現で言うなら一夫多妻です。
というのは、捕食者があり、子供や弱い者を守るため、
一族としてまとまって行動しなければならなかったからです。

私には、十数家族がありました。40頭ほどのファミリーです。
捕食者は、私たちが子供を育てる地中海に居ました。
クジラは生まれた直後は潜水が出来ず、寒さに弱いのです。
ですからどうしても温暖な地中海で子を産むことになります。
捕食者はそれを知っていて、子供と母親を狙いました。
地中海は私たちクジラにとって、生と死の場所でした。
新たな命の喜びと、捕食者の獲物となる恐怖が
私の心を奮い立たせました。
いつも家族を守る事だけを考えて行動していました。
他界してから分かったのですが、日常的に
他の者を生かすために行動したり、考えをめぐらせることは、
魂の成長にはもっとも効果があることようです。

大変に厳しい状況に向かう時もありましたが、
魂にとっては必要なことであったのです。
(でも霊界でしばらくして、向上してからわかったのです。
 其れまでは生きていた意味がわからず、悲しい人生だったと
 思い込んでいました。霊的な真実というのは
 生きている間はよくわからないものですね)

しかし、捕食者以上に厳しい困難がありました。
海底の火山活動や地殻変動です。
地表でも、人間は地震で苦労していますが、海も同様です。
海底で大きな地殻変動があると、海中に非常な衝撃波が伝わり
クジラはパニックに襲われ、そこが浅瀬だった場合は座礁し、死に至ります。
雷が鳴ると、飛び出してしまい迷子になる犬がありますが、
その状況に近いです。
運が悪いときは、一族全員が海岸に上がってしまうこともあるのです。
それは捕食者よりも恐ろしいものでした。

クジラは、通常は、穏やかで、あまり目立った音の無い世界に住んでいます。
それが行き成り、ものすごい轟音に四方から囲まれるので、
冷静な行動が出来なくなるのです。


そして、私は、大洗付近の海で亡くなりました。

他界する前の数年間は、苦しい日々が続きました。
地表の気象が変化したために、地中海の捕食者たちの食べ物が激減し、
我々クジラをより一層狩るようになりました。
捕食者たちは、浅瀬の海に暮らし、魚やもっと小さいクジラを
食べていました。
地表の様子が変わり、川から流入する鉱物や有機物がなくなり
捕食者たちが食べていた魚の餌が減ったのです。
当然その魚の数も減ります。生態系が乱れていたのです。
その年の繁殖は、全くの失敗で、新たな命だけでなく、
仲間の半数を亡くしてしまいました。
残った子供数頭を、少なくなった大人たちで守りながら、
細心の注意を払って、大洗の海に帰りました。

テチス海の西域では、悲劇に見舞われ、皆傷心しておりましたが、
この東の海は、いつも通りの穏やかな様子で、私たちは海底の
奥底に降り、互いを癒したり、海面に上がっては、
他の生き物たちと戯れてのどかな日々が過ぎていきました。

歳をとっていたのもありますが、少なくとも、日本の神の場合は、
地殻変動と連動している。
くじらが他界してからも、何度も大連動型地震は起こっていてというか、
太霊の拍動のようなものです。起こるのではなくて霊流のうねりと言えます。

人間は寿命が短いためか、視野が狭いので、大地震の一つ一つが
ばらばらに起きているように受け止めているけど、そうではなくて、
繋がっているものなのです。

繋がっているのは、過去の出来事だけではなくて、霊界との繋がりがあります。
それを高次元と言っています。過去の出来事と、それと表裏を成す霊的出来事です。
そして霊主体従なのであります。

そこで人間の皆さんは、霊界に思考を移しましょう。
なぜなら、大地が神の体であるからです。
同様に人間も、霊魂があり、それを守る肉体を持ちます。
そして人間は、その神の体の中に住んでいます。
自然という神の体内に生きています。
人間は、神と自然の営みの中で生かされているという真実を
自覚しなければならない、
という意味は、自然は神の肉体である、と言っているのです。
霊なるものを信じるなら、この事実を良く認識してください。

地球は一個の生命体である、とも言われますが、
その大きな命の中に人間の世界が依存しています。
神の体内に居て、神に依存している以上、
その営みに翻弄されるのは当然といえるでしょう。

大震災で多数の人間が亡くなり、その個々の人間は大きな悲劇
を背負って他界しているが、
何度も言うが、神に依存して生きている以上は、
それは起こるべくして起こることであり、
そこに生きる人間にはその覚悟が必要なのです。

大きな災害が起こるたびに、外国人は
「日本人は忍耐強く、美徳をもった民族である」
というが、これは日本人の類魂に内在する、
自然への¨覚悟¨が現れたものである。日本は古代より神が坐す国です。
自然という神の体内に暮らし、神の営みに身を置いているから
その魂の中に、世界に稀なる美徳を持つのであります。

その稀なる美徳に深く沈潜するならば、
もはや災害を恐怖する必要はなくなるはず。
自らの魂の中に、神の光を見出すからです。

では、日本民族は、何故神の体内に生き、
その証である¨稀なる美徳¨を持つのでしょうか?
(それこそがアセンションと言われるものでしょう)

神様には、天津神と国津神という種類があるそうです。
人間の皆さんはそう分類していますね。
それで、天皇に連なる神たちを天津神。
天津神に征服された先住の神を国津神としている。
それは的が外れている分類ですね。
なぜなら現世の天皇は少しも神に綱かって居ない。
儀式をしているだけですね。

あ、天皇批判は止めるように高橋に言われました。ハイハイ。
くじらが言いたいことは、肉体の血統には神性は乗らないということです。
神様は現世の家系とは無関係。
神と霊の関係は、霊的な繋がり、高次元の問題。
話がそれたかな?

それで、神の分類は、神様には種類は無い。
ただ、役割というか、状態の違いというか、それはあるのです。
神様には二つの状態がある。一つは、光臨で、降りる神様。
そして、その降りる神を受け止める神様。
神道的に言えば、依り憑く神と、依り代です。
その依り代の役目を果たすのが、地主神というわけで、
くじらも依り代なのです。大まかに言えば、国津神なのでしょう









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