幸福への提言

 −執着を無くすと学びがある−


それに気が付いたのは、本格的にスピリチュアルカウンセリングを始めて、

様々な霊と交流するようになってからです。

真面目にスピリチュアルに取り組んでいる努力家には、僧侶の霊が付いていることが多いのですが、

本人も僧侶霊も霊格は高いのに、何故かあまり幸せじゃないのです。

僧侶霊は他界して二、三百年経つのに「まだ修行中です」と言います。無欲で修行に励む、

それ自体は悪いことではありませんが、何か違うな、と感じました。

僧侶や行者の霊は、生前は一生懸命修行して、そのままの意識で他界し、

霊界でも同じように修行しているようです。彼らの目的は「世俗を離れ、欲を無くす」事ですが、

それなら障害者に生まれ変わると良いのです。障害者になれば、俗世の殆どのことを

あきらめなければならなくなります。地位も名誉もお金も無意味になり、

セックスも出来なくなるので、出家する必要がなくなります。と、ある僧侶霊に話すと

「カタワ者は未熟な人間なのだ」と言ってきたバカな霊が居ました。

この僧侶霊は、単純に修行すると業が無くなり徳を積めると思っているようです。


私は、自分自身が幸せか、不幸かということは考えたことは在りません。

でも、人生の中で一度だけ「自分は不幸だ!」と感じたことがあります。

それは高校三年の三学期で、進路を考えなければならない時でした。

それまではある大学を志望していて、共通一次に取り組んでいました。

その大学は自分でも自信が在ったので、必ず合格できると信じていたので、

もう入学する気持ちでいました。しかし、願書の提出期限ギリギリで進路を変更し、

大学進学を諦めざるを得なくなりました。当時は大変なショックでした。

今でも、年末のその時期になると思い出します。

元々目が悪かったのですが、気が付くと0.01になっていたのです。

視力がガクンと落ちて、メガネを掛けているのに最前列の席でも黒板の字が見えなくなっていました。

慌てて眼科に行くと「この視力は盲人のレベルだよ」と言われました。病名は緑内障です。

それで大学進学を諦めたのです。無理に行けば行けるとは思いますが、先が無いですから。

大学を出ても、目が見えなくなっていたら、社会に出られなくなります。

それなら、失明しても身を立てられる盲学校に進もうと考えたのです。

(私は親との確執があり、失明しても親に頼るつもりはありませんでした)

クラスメートは、みんな大学受験の追い込みです。私一人だけ盲学校でした。

すごく落ち込みましたが「失明対策!盲人になっても自立するため」と自分に言い聞かせました。

それから盲学校入学の四月まで、ツウツウとして毎日をすごしました。

「自分は不幸。霊能者ってプライベートでは不幸になるっていうけど本当」と感じていました。



−寄り添う心が人を幸せに導く−


しかし、盲学校の生活がスタートしてからは、自分の考えが完全に間違っていたと分かりました。

盲学校は、私にとっては人生の学びの場で、しかも楽しいところでした。

盲学校は、先生も生徒も真面目で勉強熱心な人たちばかり、ワルは一人も居ませんでした。

同じ境遇の仲間で、みんな互いを思いやり、アットホームな場所でした。

それに比べると健常者の普通校は、殺伐としていて下品で粗雑な人間の溜まり場に見えました。

普通校は身体が元気な分、動作や言葉遣いが粗野なのです。

それと、盲学校の皆さんは自分のことは不幸と思っていないのです。

それは、自分の置かれている状況を冷静に受け止めて、流れのままに生きているからなのです。


もっとも感銘を受けたのは、先輩のカップルでした。

二人とも全盲ですが、学校を出て社会人になったら結婚すると言います。

「先輩達は、結婚して子供はどうするの?」と聞いたら 「当然、欲しいよ」というので、

「もし目の病気が子供に遺伝したらどうするの? 心配じゃないの?」

大変に失礼な質問ですが、人事ではなかったのであえて聞きました。

「二人とも遺伝性の病気だから、子供もそうなると思けど、私は家族が欲しい。

 一緒に生きていける家族が欲しいから子供を生むよ」先輩は、ごく自然な口調で話しました。

この言葉も、感銘を受けました。昔から、生まれてくる子供は五体満足で、

欲を言えば頭のいい子がいい、といわれていますが、子供を生むのは、

優秀な人間が欲しいということが目的ではなく、絆のある人生の仲間が欲しいのです。

五体満足な健常者は、どうせ育てるなら優秀な子供が欲しい、と願いますが、

それは目的の履き違いで、子供を生む目的は、家族を作ることであり、

自分と絆のある仲間を自らの力で作ることなのです。

苦しみや、喜びを分かち合って、共に寄り添って生きていく仲間を作ること。それが家族。

盲学校の皆さんは、障害を持ち、互いに寄り添って生きていくことで、

人間として大切な気持ちを自然に現すことが出来るのです。

私は、心の底から盲学校に入って良かったと感じました。そのまま健常者の中に暮らしていたら、

人間として本当に必要な心に気が付いていなかったでしょう。

この時、初めて霊界に感謝しました。


それで、幸せって何でしょうか?

他界して何百年も経つ僧侶霊は、霊界で真面目に修行して執着心はなくなっているはずなのに

「まだ修行中です」という。

そして、私が盲学校で知った、互いに寄り添う心の真理。

私は、人として素直な気持ちで生きていく、盲学校の先輩カップルが真であると思う。

人として在りのままに生きていけば、出家して僧になる必要は無いと考えています。

皆さんはどう考えますか?










| 光の錬金術・魂のメッセージ | 18:39 | - | - | - |