君の魂に誠はあるか! 草稿

 ★癒されてばかりでは虫が良すぎはしないのか?

神の側から考えた場合、
パワースポットと一方的に命名された境内に群がる人間達は
、どう見えるのだろうか?
このご時勢、心配性の日本人は¨お得¨に群がる。
少しでも安く感じることが善であり、あまり物事の本質は考えない。
結局は、安物買いの銭失いであるが、
人間は、簡単で楽に済む方法を選ぶ。
神縁についても楽でお得なご利益を得ようとする。
貴方が神ならどう思うだろうか、神事の場で¨お得¨を求める人間たちを。
ご利益やパワーは、その神と縁のある人間であるから与えられる。
どこの聖域も、自然が豊かで管理が行き届いており、
どんな人間でも行けば清清しさを感じる。
それは特別なパワーでは無い。パワースポットで癒しを感じる人間は、
自己満足しているだけで、その気分に浸っているだけなのである。
貴方が神なら、どんな人間にパワーを与えるだろうか?

20年ほど前のことであるが、其の当時は成田市に住んでいた。
今もそうだが、麻賀多神社というパワースポットがある。
天之日津久神社が在り、全国から参拝者があった。
私は近くに住んでいたので、良くお参りし、境内の地主神と懇意にしていた。
ある時、見慣れない若い男性が、日津久神社にお参りしていた。
熱心で真面目な感、きちんと手順を踏み、立派な祝詞を上げる。
私は、その人がお参りを終えるしばらくの間は、境内の隅で控えていた。
彼は、お参りが終わると、すがすがしい表情になり、
神に感謝して境内を去る。
境内を管理する眷属は「仕方ないなぁ」という顔をしていた。
彼は日津久神の神気に触れることが出来たと思っているらしい。
しかし、実はこの場合、人間の思い込みであることがほとんどなのである。

実態はこうだ、
その彼は、新興宗教団体の信者で、日津久神を信じているらしい。
しかしこの日津久神は実際には麻賀多神社の地主の天狗であり、新興宗教団体が信じている神とは違う。語呂あわせというか、たまたま麻賀多の境内社に同じ名前のお宮があったため、教祖氏が霊言と称して予言をしたのだ。それを信じている信者たちが来るようになったのである。
その様子をよく見ていると、彼の周りには多数の霊が取り巻き、しきりに印を結び、神を呼び出そうとしている。日津久神を降ろすお芝居をしている。
本物の日津久神はこのお宮の地主神である。縁のある地元の人間でなければ降りない。この信者には少し霊感があり、日津久神の実在を感じたかったのだ。取り巻きの霊(恐らく教団の霊)は神のまねをして龍の姿となり天に昇るビジョンを見せた。彼にもそれが見えたらしく、感動した面持ちで深々と頭を下げていた。
私は、神域でこんな茶番劇を許す眷属に問い正しました。
「あの教団は日津久神を利用して信者を得ようとしている。このままで良いの?」
眷属は辺りを気にしながら、恐らく神に内緒なのか、気を隠しながら話した、
「連中は悪いことをしているわけではないし、昔からの知り合いなので…」
と語尾を濁した。私は裏を感じたのでこれ以上は詮索しなかったが、
これには後日談があるので、改めて話そう。
確かに教団の霊は悪いことはしては居ないが、神道で最も尊重される「真」に背いている。その信者の彼は、日津久神を得たと喜んでいるのだろうが、それは真の神ではない。
いずれ今後の人生の中で、墓穴を掘ることになるだろう。
この天之日津久神社の茶番劇と同様の事が、各地のパワースポットと呼ばれる聖地で起きているのである。神域から霊力を頂くということは、公明正大の神に対して「真」で無ければならない。それを無視する人間は、神域に屯する者たちに利用されるのが落ちである。

聖地に行き、「癒される」感じがする、「良い男が出来た」「お金が儲かった」などと願う。その心境に「真」はあるのだろうか?
スーパーのワゴンを物色する安物買いの客と同様、「お得」が目当てなのである。私がオーナーなら、本当に価値のある品物は、それが分かる客に適正価格で渡す。神も同じである。神力は、神の「真」が分かる人間にのみ与えるのである。

「真」「誠」こそ、神に通じる唯一の道である。






| 光の錬金術・魂のメッセージ | 22:47 | - | - | - |