光圀霊 神社での暮らしぶり

 ご存知ながら、私は¨霊¨です。死んでいる者です。
こちらに来て3百年ほど経って居ります。
つまり、微妙な立場に居ります。
代を得て、またこの世で語ることができました。
ですから、霊を信じられない方は、そのままの認識で結構ですので、
¨面白い物語だな¨と思ってくだされば嬉しいです。

私は、1701年に他界しましたが、
私の生涯については、研究されている方がいろいろな書物を書かれているので
それを参考にしてください。多くは「桃源遺事」という、
の側近があらわした物を出典にしていますが、それはあまり当てにはなりません。
私の後進が世に残した書物に、ここが悪い、そこが違うと言っても、
今更仕方が無いので、そのところの言及はやめます。

私は、水戸市の常盤神社に仕えております。主祭神というのは、
全くおこがましいことで、只ひたすらに御神命に従う日々を過ごしています。
近年、現世の神社には外国人が多く参拝するようになりましたが、
霊界のお宮には、外国人は訪れることはありません。
日本の神界に縁のある者でなければ許されないのです。
(逆に、西洋の神界に私達が勝手に訪問することはできません)
現世では人間は皆平等と言いますが、霊の世界では魂の出自により区別されるのです。

常盤神社での私の一日は、と言っても霊界には昼夜の経過はありませんが、
現世の時間の流れに合わせて、霊界のお宮も運営されているので、
早起きは三文の得、と言いますが、私は早朝からお参りに来る者には、敬意を払い、
その人間の健勝を祈念してあげます。お参りする一人ひとりの者たちに
そうしてあげたいのですが、霊界の公務があり儘なりません。
そんな訳で、朝の参拝者の顔を見るのが、私のささやかな楽しみでした。

私は、祭神では在りますが、実は、まったく神としての仕事は出来ていません。
お宮の管理者の役目というのは、神と、人との間に立って、その橋渡しをするのです。
人が神に願うと¨ご利益¨というものがもたらされますが、
それは、私のような役目を持つ神霊が、神の力をその人間に伝えて居るからです。
私は、その中継ぎの仕事を上手く進めることが出来ません。
それをこちらの言葉では¨お手配¨といいますが。
お手配は、地域や国家に関することから、氏子の個人の事や、
犬猫、草木のことまで、さまざまな現世の事柄を神に申し上げて、
人間達が恙無く過ごせるように下々の神霊に指示を与える役割です。
分かりやすく言い換えるなら¨中間管理職¨のようなものです。
本当に恐縮なのですが、私は常盤神社を任されてから、
只の一度も、満足の行くお手配は出来ませんでした。
神のお声を正確に聞き取る事ができない、さらに神の意思を下々の神霊に伝えられない。
しかし、お手配の用件はこなさなければなりません。

そこで、私に代わってお手配を行ってくれる者があります。
末社の常盤稲荷です。この神霊は、いわゆる稲荷です。
神や人間の類では在りませんが、
私より神通力があり、賢く、何よりも慈悲の心にあふれた神霊であります。
常盤稲荷は、普段は稚児の姿をしており、参拝者が多いときは、楽しいらしく、
皆と一緒に境内を走り回って居ります
。稲荷は、人と共に在ることを喜びとしている神霊で、
人間に対してはいつも明るい心を与えています。
また、神に向うときは、誠に素直な気持ちを表して、
の魂には何の偽りも躊躇いもありません。
私は、稲荷のように、すんなりと神の元へ参じることが出来ません。
人間特有の自意識が邪魔するのでしょうか。常盤稲荷は、
神の眷属になるべく育てられ、研鑽を続けてきた、言うなれば神霊のエリートです。
娑婆の臭みがありません。
私も、稲荷のような無邪気な心を以って、神をお迎えしたいのです。

その日は、常盤稲荷が「外人さんが来たよ」と言って、
子犬のようにはしゃぎ回っておりました。生きている人間の外国人ではなく、霊の
外国人です。
前述したように、外国人の霊は神域には入り込めないはずです。

この霊界通信が綴られているのは、2009年12月ですが、
事の始まりは、それを10年程さかのぼった、1999年の春先のことでありました。
水戸の春、というのは、当地の者(霊界)にとって感慨深い時期であります。
その日は、何時もとは違う参拝者の気配がありました。



つづく








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| 徳川光圀「真心を求めて」 | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
 
 
 
 
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