般若心経の教えと≪真心≫

  > お世話になります高橋さんのブログに
「霊界に帰るときに必要なのは真心だけ」
を拝見して凄くラクになりました。
般若心経の意味と同じことを言われてますか?


う〜ん、ちょっと違います。
私のいう真心は、神道の思想から来ているもので、
神霊や動植物、自然界に存在に対する思いやりの気持ちです。
仏教はもともと霊魂は否定しているので、
相手にも自分にも魂はありません。
神道の真心は、魂と魂の交流です。
おそらくお釈迦様には真心は理解できません。

般若心経は修行のためのお経で、
物事も自分の想念もすべて仮象だから、
今すぐに忘れて無我の境地になりなさい、という意味です。
神道では仏教の無我は無意味で、
神霊や相手を労わる行動を重視します。
ちなみに、厳密には無我にはなれません。
内臓をコントロールしている自律神経があるからです。
自意識は停止できても、潜在意識は活動しています。
お釈迦様が嫌う生殖器も活動していますよね。
般若心経の教えを全うするには肉体を捨てるしかありません。
だからハードな修行をします。

難しいかな。。。
















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| スピリチュアル研究 | 10:49 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
 
 
 
 
COMMENT
もともとのお釈迦様の教えは、出家者に対するものです。世界的にも仏教は小乗仏教が主体です。
日蓮さんが言ったと言われている「幸いは心より出でて我を飾る」は、一般人に向けてのものでしょう。
だって、出家者は幸せは求めません。むしろ捨てます。
真心は、厳密には現世の執着に類するものです。
現世で真心を現わすと、欲が動きます。
男女の間の真心は愛ですが、愛欲につながり、
親子の間の真心は依存につながります。
出家者はそれらを捨てることを求められます。
出家者にとっての真心は、ブッダに向けられるもので、現世の業生者には向けられません。
真心は、とても厳しくて魂を掛けたものなのです。
一般人が軽く考えている単なる、思いやり、ではありません。
出家者は、孤独に生きているので、業生者とは接触しません。
真心は、ブッダに対してだけあるものです。
キリスト教徒も、帰依するときは神にだけ魂を委ねますが、
真心も真実の存在にだけあるものです。

一般の人には深い意味は分からないでしょうね。。。

| 高橋 | 2014/03/17 11:12 PM |
お釈迦様には真心は理解できないということですが、日蓮聖人は「・・・幸いは心より出でて我を飾る」と言ってますよね。この心とは真心の事だと思うんですが、お釈迦様の仏教と日蓮聖人の仏教はちょっと違うんですか?真心が理解できないなんてなぁ・・・仏教ってなんなんだろう・・・
| ぬん | 2014/03/17 9:39 AM |
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