般若心経の教えと≪真心≫
2014.03.05 Wednesday 10:49
> お世話になります高橋さんのブログに
光の錬金術師・スピリチュアルブログ
「霊界に帰るときに必要なのは真心だけ」
を拝見して凄くラクになりました。
般若心経の意味と同じことを言われてますか?
う〜ん、ちょっと違います。
私のいう真心は、神道の思想から来ているもので、
神霊や動植物、自然界に存在に対する思いやりの気持ちです。
仏教はもともと霊魂は否定しているので、
相手にも自分にも魂はありません。
神道の真心は、魂と魂の交流です。
おそらくお釈迦様には真心は理解できません。
般若心経は修行のためのお経で、
物事も自分の想念もすべて仮象だから、
今すぐに忘れて無我の境地になりなさい、という意味です。
神道では仏教の無我は無意味で、
神霊や相手を労わる行動を重視します。
ちなみに、厳密には無我にはなれません。
内臓をコントロールしている自律神経があるからです。
自意識は停止できても、潜在意識は活動しています。
お釈迦様が嫌う生殖器も活動していますよね。
般若心経の教えを全うするには肉体を捨てるしかありません。
だからハードな修行をします。
難しいかな。。。
日蓮さんが言ったと言われている「幸いは心より出でて我を飾る」は、一般人に向けてのものでしょう。
だって、出家者は幸せは求めません。むしろ捨てます。
真心は、厳密には現世の執着に類するものです。
現世で真心を現わすと、欲が動きます。
男女の間の真心は愛ですが、愛欲につながり、
親子の間の真心は依存につながります。
出家者はそれらを捨てることを求められます。
出家者にとっての真心は、ブッダに向けられるもので、現世の業生者には向けられません。
真心は、とても厳しくて魂を掛けたものなのです。
一般人が軽く考えている単なる、思いやり、ではありません。
出家者は、孤独に生きているので、業生者とは接触しません。
真心は、ブッダに対してだけあるものです。
キリスト教徒も、帰依するときは神にだけ魂を委ねますが、
真心も真実の存在にだけあるものです。
一般の人には深い意味は分からないでしょうね。。。