真心の真相
2014.03.19 Wednesday 21:06
先の記事「般若心経の教えと≪真心≫」
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お釈迦様には真心は理解できないということですが、
日蓮聖人は「・・・幸いは心より出でて我を飾る」
と言ってますよね。この心とは真心の事だと思うんですが、
お釈迦様の仏教と日蓮聖人の仏教はちょっと違うんですか?
真心というのは、魂と魂の交流を意味しています。
それは、真心を交流する魂と魂が、高次で結びついているという前提です。
業生の人間には真心は通じません。業想念の壁があるからです。
その業の壁を持つ人間には真心を論じることは出来ません。
もともとのお釈迦様の教えは、出家者に対するものです。
世界的にも仏教は小乗仏教が主体です。
日蓮さんが言ったと言われている「幸いは心より出でて我を飾る」は、
一般人に向けてのものでしょう。だって、出家者は幸せは求めません。
むしろ捨てます。幸せに振り回されている一般人に分かりやすい説法をしたのです。
世俗を捨てるブッダから見ると、真心は、厳密には現世の執着に類するものです。
現世で真心を現わすと、欲が動きます。男女の間の真心は愛ですが、愛欲につながり、
親子の間の真心は依存につながります。世の中のために何かしたいと思うと、
資金が必要です。現世では、それが善意からの行為でも、欲と物質が必要なのです。
出家者はそれらを捨てることを求められます。
出家者にとっての真心は、ブッダに向けられるもので、現世の業生者には向けられません。
真心は、とても厳しくて、人生と魂を掛けたものなのです。
一般人が軽く考えている単なる、思いやり、ではありません。
出家者は、孤独に生きているので、業生者とは接触しません。
仏教家にとって真心は、ブッダに対してだけあるものです。
相手にも、ブッダに通じる真心が在るなら交流できます。
キリスト教徒も、帰依するときは神にだけに魂を委ねますが、
真心も真実の存在にだけあるものです。無償の愛、アガペです。
求道者と、一般人とは、人生に対する覚悟が違うので、
その教えも違います。真心と言うものも、求道者は、より厳しく真理を求めます。
宗教の求道者だけでなく、何かに精進している人は、それに集中するので
一般人との接触は最低限にしますよね。「真心」も、スピ的に、真に大切にするなら、
世俗とは離さなければなりません。
そんなわけで、お釈迦様は、厳しく真理を求める世界にいらっしゃるので、
一般人が軽く考えている「真心」は理解しないのです。
そんなお釈迦様に「どうして私の真心が分からないの?」と問い詰めたら
「貴方の世界に戻って、みなさんと仲良く暮らしなさい」
と言うでしょう。
世俗な暮らしをする一般人には、「真心」の霊的な、深い意味は分からないでしょう。
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肉体人間の限界があります。とても疲れていたり、貧乏していると、真心どころではなくなり、自分のことだけで精いっぱいになります。神霊の世界は肉体が無いので、無限の愛を与えることができますが。
そこまで深く考えないで、その時その時で「善」と思ったことをやっていくしかないですね。