真心の真相

 先の記事「般若心経の教えと≪真心≫」 


お釈迦様には真心は理解できないということですが、

日蓮聖人は「・・・幸いは心より出でて我を飾る」

と言ってますよね。この心とは真心の事だと思うんですが、

お釈迦様の仏教と日蓮聖人の仏教はちょっと違うんですか?



真心というのは、魂と魂の交流を意味しています。

それは、真心を交流する魂と魂が、高次で結びついているという前提です。

業生の人間には真心は通じません。業想念の壁があるからです。

その業の壁を持つ人間には真心を論じることは出来ません。

もともとのお釈迦様の教えは、出家者に対するものです。

世界的にも仏教は小乗仏教が主体です。

日蓮さんが言ったと言われている「幸いは心より出でて我を飾る」は、

一般人に向けてのものでしょう。だって、出家者は幸せは求めません。

むしろ捨てます。幸せに振り回されている一般人に分かりやすい説法をしたのです。

世俗を捨てるブッダから見ると、真心は、厳密には現世の執着に類するものです。

現世で真心を現わすと、欲が動きます。男女の間の真心は愛ですが、愛欲につながり、

親子の間の真心は依存につながります。世の中のために何かしたいと思うと、

資金が必要です。現世では、それが善意からの行為でも、欲と物質が必要なのです。

出家者はそれらを捨てることを求められます。

出家者にとっての真心は、ブッダに向けられるもので、現世の業生者には向けられません。

真心は、とても厳しくて、人生と魂を掛けたものなのです。

一般人が軽く考えている単なる、思いやり、ではありません。

出家者は、孤独に生きているので、業生者とは接触しません。

仏教家にとって真心は、ブッダに対してだけあるものです。

相手にも、ブッダに通じる真心が在るなら交流できます。

キリスト教徒も、帰依するときは神にだけに魂を委ねますが、

真心も真実の存在にだけあるものです。無償の愛、アガペです。


求道者と、一般人とは、人生に対する覚悟が違うので、

その教えも違います。真心と言うものも、求道者は、より厳しく真理を求めます。

宗教の求道者だけでなく、何かに精進している人は、それに集中するので

一般人との接触は最低限にしますよね。「真心」も、スピ的に、真に大切にするなら、

世俗とは離さなければなりません。

そんなわけで、お釈迦様は、厳しく真理を求める世界にいらっしゃるので、

一般人が軽く考えている「真心」は理解しないのです。

そんなお釈迦様に「どうして私の真心が分からないの?」と問い詰めたら

「貴方の世界に戻って、みなさんと仲良く暮らしなさい」

と言うでしょう。

世俗な暮らしをする一般人には、「真心」の霊的な、深い意味は分からないでしょう。













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| スピリチュアル研究 | 21:06 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
 
 
 
 
COMMENT
「真心」って難しいのです。
肉体人間の限界があります。とても疲れていたり、貧乏していると、真心どころではなくなり、自分のことだけで精いっぱいになります。神霊の世界は肉体が無いので、無限の愛を与えることができますが。
そこまで深く考えないで、その時その時で「善」と思ったことをやっていくしかないですね。
| 高橋 | 2014/03/19 12:22 AM |
ありがとうございました。なんだかとっても難しいですね。確かに日蓮聖人の言葉は、在家信者に向けられたものでした。仏教でいう真心はブッダに向けられるものであるとするなら、それは帰依するということなのかな?真心にもいろいろあるんですね。私は、思いやりの真心で十分ですわ。それによって、さまざまに執着が生じようともそれが人間ですから、大いに結構!
| ぬん | 2014/03/18 7:42 PM |
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