無神経な親のおかげで本当の真心を知る

無神経な相手から、「そんなの意味無いよ」「だから何?」「どうせダメでしょ」

と言われて傷つくことがありますよね、特に家族ですが。

私は母親がキツイ人で、いつも「お前なんて生むんじゃなかった」

「捨ててくればよかった」と言われていました。

でも、子供のころは自分の母親だからと、それなりに慕っていたので、

母の日には絵をかいてあげたり、母が仕事で遅い時は夕食の支度をしていました。

自分なりに家族のため、母のためと思ってお手伝いをしていましたが、

その私の真心は、たいていは無視されていました。

お駄賃が欲しいとか、褒めてほしいとかはありませんが、

口汚くののしるのは辞めてほしかったのです。

真心の一方通行ですよね。他人なら、そう感じた時点で疎遠になります。

家族だから、親だから、真心の一方通行でも、やってあげなければ行けません。

私は、聖人でないし、強い人間でも無いので、真心の一方通行はとても孤独で、

生きている意味を感じなくなりました。覚えている限りでは、小学五年の時には、

早く死にたいと感じていました。 真心の一方通行は、とても悲しいし孤独です。

しかし、まだ子供なので、この親に扶養されている間は耐えていかなければなりません。

そこで自覚したのは、真心と言うものは、心の栄養のようなもので、

毎日生きていく上で大切にしなければならないものということ。

「自分の真心は大切にしよう、無神経な家族から守ろう」

そのためには、どうしたら良いのでしょう?

「そうだわ、形だけやっていれば良いのよ、人は心の中はわからないものね」

真心を見せる必要はないのです、形だけやっている振り、つまり要領よくやるのです。

それから少し大人になったというか、親に、合わせる、ことが出来るようになりました。

すると少し、良い子、になったのか、親はイライラしなくなりました。

その後、家族のトラブルが減り、その分、精神的に落ち着き、

酷い落ち込みは無くなりました。

心が冷静になって、分かってきたことがありました。

私に対して真心を向けてくれる存在です。

当時、猫と犬を飼っていました。黒ちゃんとパピーです。

この子達は、私が学校から帰ると、

とても喜んで、体全体で喜んでくれました。動物が持っている真心ですよね。

私は、人間には感じませんでしたが、動物たちには本当の真心を感じていました。

それと、もう一方で、亡くなっている祖父母の霊も、私に真心を向けてくれました。

いつも温かく見守っている気配がしていました。

特に祖父霊ですが、勉強も教えてくれました。

祖父は生前、会計士の仕事をしていて、博識のある人物だったそうです。

私は算数が苦手でしたが、どんな参考書を買うといいのか、

勉強の仕方などをアドバイスしてくれました。

現世の親は子供の教育には無関心なので、勉強は教えてくれませんでした。

今になって考えると、子供のころに親が無神経だったお蔭で、

真心を深く考える機会があり、

早い段階で、魂を守るという意識を持てたのは良かったと思っています。

真心は、魂の奥深くから湧き起こるパワーで、神霊に通じるものです。

自分の真心を守ることは、神霊との繋がりを保証するものであるし、

同様に相手の真心を尊重し、労りの気持ちを向ければ、

相手も自分も高め合える関係になります。


無神経な人たちの中で、真心の一方通行をやってしまうと、

利用されたり、頼られたりで、

「あの人、良い人よね」で終わっちゃいます。

友情に見返りは求めない、というのは、建前論です。

欲が深い無神経人間に利用され続けると、真心の無欲人間は疲れてしまいます。



| 茨城の母 自伝 | 17:15 | - | trackbacks(0) | - |
 
 
 
 
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