心を守ることと、信念を持つこと

リアルで障害者として生きることは、困難の積み重ねです。
テレビや小説のような感動のストーリーはありません。
私が今までに体験した事をありのままに書いていきます。
世間受けする綺麗ごとは何もありません。
私の人生の半分は、両親の家庭内暴力や、夫のパワハラに悩む毎日で
それをお伝えすることになりますが、すべて事実です。
恵まれた対人関係で、平穏な暮らしをされている方には抵抗のある内容です。
嫌な感じを受けたのでしたら、スルーしてください。
私は、生まれ育った家庭が、暴力的な場所でした。
近所にはヤクザの会長さんの邸宅があり、父が働いていた会社は、
そのヤクザさんが経営していました。
先輩のヤクザが後輩のヤクザを厳しくしごいている様子を見て育ち、
暴力が日常的に身近にありました。
家庭でも、父は飲んだくれているか、母と喧嘩しているか、の記憶しかありません。
男性は、大人になると酒を飲んで暴れるのが普通で、
それに耐えながら生きるのが妻の勤め、と思っていました。

★心を守ることと、信念を持つこと

子供のころから、自分を守ることを考えてきました。
自分を守る、とは、ズルく立ち回ることでは無くて、周囲の暴力から、
自分の心を守ることです。
前述のように、親はキツくて短気な性格だったので、
毎晩夫婦喧嘩をし、子供の私にも八つ当たりをしました。
物心ついたときには、「さっさと死ね」「お前は生きている意味無い」
といった言葉の暴力や、蹴られたり物を投げつけられるのは常体化していたので、
それが普通の事、普通の家族なのだと思っていました。
「親が暴れるのは当たり前の事だから我慢しなければ」と。
でも、いくら当たり前の事、と割り切っても、
毎日「役立たず、生まなければよかった」と言われ続けると心が折れてしまいます。
そして、「ぶっ殺す」と言うので、敵と認識しました。
親ですが、殺すというのですから、敵です。
敵と一緒に暮らすから、自分を守らなければ、と思ったのです。
子供なので単純な思考過程です。
その中で、生きている意味や真実とは何か、を考えていきました。
私は、子供心に「早く大人になって独立したい、この親から離れたい」
と決意していたので、
それまでの間は、自分の心を維持したい、自分の心を守りたい、
そのためにはどうしたら良いのか?と思案しました。
暴力に耐える心を作ること。他人からの暴力は逃げられるが、
子供は、家庭内の暴力には耐えるしかないですよね。
家庭内の弱者は、耐えながら、自分が自立できる機会を待つしかない。
そのような境遇にある人に、スピリチュアルは何が出来るのでしょう?
日常的に暴力に曝されている人間に、感謝の祈りを唱えても、
よほどの精神力が無ければ、感謝行はできない。
「お前なんか、さっさと死んでしまえ!」と怒鳴られて、
その相手に対して「ありがとうございます。感謝します」
と手を合わせることはお釈迦様でも出来ないでしょう。

「イスラム国」の迫害で存亡の危機にあるヤジディ教徒に思いをはせる時、
自分がもしヤジディだったらと共感すると、どうやって信仰をまもるのか?と考える。
どうやって、自分自身を守るのか、自決するしかないのだろうか?
ヤジディの人々のように、家族が殺され、奴隷にされ、レイプされて、
それでも生きなければならないとしたら、
自分自身を如何にして維持し得るのだろうか?
ただただ、恐れおののいて耐えていくしかないのだろうか?
ヤジディの人々の苦難とは比較にならないですが、
私が子供のころに受けた暴力と重なるものがあります。
心と魂を、いつも平穏に保ちたい、と願って、出来るだけ心を波立たせないで、
執着を無くした生活をしても、家庭内暴力や虐め、
言葉の暴力に曝される日常に身を置かなければならない場合は、
どうすれば精神と魂を守れるのでしょう?
一番いいのは、その環境から逃れることですが、子供や女性、
障害者のように弱い立場の人間には中々出来無いことです。
実際に、私は親から逃れるのに25年以上かかって、
その後の夫からは13年かかりました。

何かわからないのですが、私は相手を尊大にさせてしまうところがあるようです。
親は仕方ないにしても、夫は初めの半年は良かったのですが、
段々尊大になり、離婚するころには飲んだくれて、私を家政婦のように扱いました。
また、家族だけでなく、職場でも私より役職が下の同僚に、
大柄な態度で物を言われました。
後になって分かりましたが、私は物事は、マイペースにやる様にしていますが、
それをせっかちな人が見ると、サボっているように感じるらしいです。
仕事については、労務契約通りにきちんとやっているのですが、
セカセカと動いている人には、私の仕事は、だらだらしているように見えたのでしょう。
確かに、実家の親は短気でしたし、夫も器の小さい亭主関白でした。
私の周囲の人間たちは、元気な健常者で、いつも忙しく、イライラしています。
「よっこいしょ」と、ワンテンポ置いて行動する私が、ウザく感じたのでしょう。
要するに、自分たち健常者とは違うテンポで生きている私が目障りだったのです。
そういう人たちに、私の気持ちを理解してほしいと言っても「だから何よ!」
と反発されます。

尊大で、弱者を虐める人間は、その弱者を人間的に下に見ていますから、
バカにしているので、こちらが降参して、無抵抗でいると油断します。
加害者を油断させて、自分の心を守りましょう。取り敢えず、激高させない事、
無用な口論をしないこと。そのために、機嫌を取って接待します。
そして人生のチャンスが来た時に、パット逃げましょう。
私は、それを二回やりました。とても疲れました。
もう尊大な人とは関わりたくないですね。
とにかく、「いつかは救われる、道が開く」と信念を持つことです。
物事は、いつまでも同じままではありませんから、必ず出口が見つかります。
その時の為に、体力を維持して、支援者を作っておくことです。
自分が弱者になり、虐めの対象になった時こそ、冷静に考えて行動しましょう。
加害者が身内であって、毎日酷いことをされても、心の中の理性は維持しましょう。
だって、自分は、尊大で無神経なバカ人間たちのために
生きているのではないからです。自分は自分の為に生きています。
知力と気力を振り絞って、現状から脱出しましょう。

前述した、ヤジディの人たちも、「必ず救われる」と信じて生き延びているのでしょう。
だって、ヤジディの人たちは、イスラム教のために生きているのではないでしょう。
自分の神のために生き続けるのでしょう。
神の為なら、どんな屈辱も暴力も耐えて生きていけるでしょう。
ヤジディは、光の神だそうですが、彼らは、光の神のために生きています。
自決は神は望まないでしょう。子供のころは、そこまで深くは考えませんでしたが、
今の自分は、やはり信念のために生き続けています。

子供の頃の親の口癖は、「お前なんて産むんじゃなかった」
「お前は生きている意味無い」でした。
「だったら産まなきゃよかっただろ!」って、決まり文句でしたが、
それは良く考えると自分で自分を否定している発言ですよね。
子供心にも気が付いたので、私は心の中で「この親より必ず偉くなってやる。
早く大人になって独立したい」と決心しました。
親に「生きている価値無い」って言われるたびに、早く大人になって独立したい、
という思いを強くしました。親に、蹴られたり、縛られたり、ステッキで殴られても、
「早く大人になって独立する」という思いが、私を支えました。
そのためには、学歴、勉強です。

つづく、


これを載せたら、「嫌、そうでは無い、もっと人間を信じなさい」
という意見を頂きました。それは良くわかりますが、それは建前のように感じます。
人間にはいろいろな意味で限界があり、結局は自分が大事です。
私は、自分を大事にしたいのです。そうしないと生き続けることが出来なくなります。
| 茨城の母 自伝 | 01:47 | - | trackbacks(0) | - |
 
 
 
 
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